METABOLISM メタボリズム。生物学の用語、新陳代謝の意。メタボリズムは、都市を生物体としてとらえようとする一連の建築家たちの運動でもある。生物の変化過程のアナロジーを、都市像としてとらえようとした。
空間、環境は次々に変り、変りつづける。その先にあるものは、文明のメタモルホーゼだ。空間、環境の変化によって、ひとの心も変る。変らないまでも、それに返事をしなければならない。メタボリズムは、これまでの古典的静止的な都市概念を解体して、都市を建築を、生きて動きつつあるものとして、とらえようとした。
私は、私自身にとって興味ある、いくつかの生物学的な対象を、見いだしながら、私が描こうとしている事物のイメージと、生物学がふみ入っている微視的な世界のあいだに、どこか共通な分母をみいだしたいと思っていた。生物学は、すでに分子レヴェルでの抽象作用を問題にしている。
私は知る限りでの生物学へ知らず知らずのうちにのめり込んでしまった。抽象への出発は、生物学への興味であった。生存について、生存している物質、生きものについて、私は多くの知識を求め憧れた。日常的視点はなくなって、物質、量、粒子、分子、などのレヴェルで、目を見開かせようとした。私自身の目は、次第に、目に見えぬものの秩序、目に見えぬものの強いはたらきであることを実感するようになった。(一九五九年)
生物学は、私にとって、遥けき彼方の眼前であるかに思えた。眼前の、手の平に在るものでさえ、遥かから訪れたメッセージでもあった。
私は、少年のように一台の顕微鏡を手にして、そこに映る世界をのぞき始めた。ほんのわずかの倍率から始められ、電子顕微鏡の、二万五千倍までにも及んだ。すべてが新しく心を躍らせた。これは、ジョージ・キープスのニューランドスケープや、ビジュアルアートツデイの影響もあったが、どこまでも、私自身の興味であり、一冊の、あのアラン・デールの書物や、ガモフ全集であったりしたのかもしれない。
いずれにしても、私は一枚のケント紙の上に、左右二十五糎、タテ二十糎の生物学を描くことにした。それは自由な線を描くことから始め、線であり面であり、同時にある種の抽象的な物質を描いた。この絵にめずらしく表題をつけ加えた。『メタボリズム』(一九六○年・十一月)である。それから数年間、これらの生物学的な、イメージにささえられて、同質のバリエーションを描き、これと共通するデザインをいくつも試みた。
自然や生物には、それ自体が充溢しきっている。人間という自分自身の肉体も同じだ。これを越える観念を見てみたい。
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