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現在も粟津邸屋上に住むイランの陸亀「マランダ」
風土記の亀

演奏家、タジマハール旅行団のメンバーたちが、北欧からヨーロッパ各地を演奏旅行したのち、目的地インドのタジマハールに向った。その途中、イランのマランダの街から少し離れた砂漠の中で一匹の亀をみつけ持ち還ってきた。メンバーのひとりである小池龍が、その亀を私にくれたのである。
ここ数年来、私が風土記にひかれて、海亀をよく描いていることを知っていた連中が、遠い砂漠の地から亀を運んできてくれた。この亀をよく眺めると、頭部が鳥類ではないかと思えてくる。とくに口元がそうである。『古事記』にも、たしか空飛ぶ亀のことが記されてあったと思う。原生動物の型をのこしている数少い動物である亀は、おそらく空を飛び、海中を飛んでいたのではないかと思われてくる。そんな空想をしてみる。
海鳥が魚を捕る場合、海中でも飛ぶように泳ぐ。海も空も海鳥は飛んでいる。このイランの陸亀は、水に弱いと動物の書にある。ほんのわずかな水溜りでも、水死するそうである。
永い年月、砂漠という乾いた土地に生きてきたのか、機能分化したためだろう。雨が降るとたちまち身をかくすから、水を恐れているようだ。

私は、「海亀」をモチーフに、多くのデザインをしている。イラストレーションに限らず、海亀の彫刻というか壁面レリーフ(幅八米高三米)というかをつくったりした。(アルミダイキャスト)。何故こんなに海亀にひかれてきたのか、私自身でも十分に答えることができない。
表現というものは、明確な思考をそこに示す場合もあるが、まったく不明なものへとひかれてゆく場合もある。「海亀」は後者に属しているように思えるのだ。
丹後風土記(浦嶼子・『釈日本記』巻十二)にひかれていたし、丹後半島へ幾度も訪れてみたりした。海亀のことは、『日本霊異記』や『お伽草紙』にでてくるし、物語の内容は、高句麗の神話にもある。その『風土記』には、――三日三夜を経るも、一つの魚だに得ず、すなわ乃ちいついろ五色の亀を得たり。心にあやしき奇異と思ひて船の中に置きて、やが即てね寝るに、忽ちをみな婦人と為りぬ。其のかたちうるは容美麗しく、またたぐ更比ふべきものなかりき。しまこ嶼子、問いけらく、「ひとざとはろか人宅遙遠にして、海庭には人な乏し。いづれ_の人か忽に来つる」といへば、おとめ女娘、ほほゑ微咲みてこた対へけらく、「みやびを風流之士、うみ独蒼海にうか汎べり。した近しくかた談らはむおもひにた勝へず、かざくも風雲のむたき就来つ」といひき。嶼子、復問ひけらく、「風雲はいづれ何の処よりか来つる」といへば、女娘答へけらく、「あめ天上のひじり仙の家の人なり」。――とある。

「亀」甲骨文字

時間、空間、場、人、それぞれが自在のメタモルホーゼである。五、六世紀からすでに、シュルレアリスムがあり、事物と幻想の関わりに、私はひかれたのだと思う。海亀は、その抽象化されたモノである。ここには、イメージや事物に対する観念の飛翔があって、何か、かきたてられるものがあるようなきがしてならない。海亀は、甲骨文字でもそうだが、船の先端に付けられている生贄奴隷の水先案内人であるし、型をよくみると、運勢の「方位」に似ている。亀の甲は、背中六、五、五の甲でできていて、それを囲んでいる小さな甲は二十四個ある。方位は八角形でできているが、やはり一辺が三つにわかれていて、二十四個ある。亀は、海、砂漠と道なき遙かなる遠方を見ているように首をふる。

 
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